日本において、
OSS(オールドスタイル・シャム)の存続を語る上で、避けることができないのが、この「血統と登録」についてです。
 
 
この「血統と登録」の概念の捉え方には賛否両論あります。
ここでは、その是非を問うことは致しません。
元来、西洋の人々が作った考え方ですので、
我々日本人(アジア人)には馴染まないという側面も持ち合わせているかも知れませんし、
人間というものは過ちを犯す動物ですので、
その是非は問うまでもないことなのかも知れません。
また、「血統と登録の価値」=「命の価値」「金銭的な価値」と、
直接的に結びつけることは、少々危険とも言えることです。
 
 
本来の「血統と登録」とは、
その猫あるいは犬の「金銭的な価値」、「名誉的な価値」ではないことはもとより、
「命の価値」では、決してありません。
「血統と登録」が為されている動物が偉いということでもありませんし、ましてや、
そのオーナーの自尊心を満足させるものでもないことは、
「キャット・クラブの歴史」を見れば明らかです。
 
 
ここでは、「血統と登録」を、金銭的・名誉的な側面から捉えるよりは、
猫(動物)のブリーディングにおいての
客観的な情報の必要性、及び、その動物の健康増進のための
責任あるブリーディングが為されているかどうかの指標、
として考えて行きたいと思います。
 
 
日本では、「血統書」については割合と寛容な方が多いようですが、
西洋においては、もう少し厳密なものとして考えられています。
また、日本では「血統書」1枚に全ての情報が載っていますが、
海外では、「純血種」の動物を購入した場合は、「登録ナンバー証」と「血統書」の2枚の書類が、
一緒に手渡されます。この2枚のうち、より重要なのが「登録ナンバー証」です。
 
 
この「純血種」という呼称についても、
適切であるとは言えず、「商用種 (ショー用種とも言うそうです)」というのが正しい、という考え方もあるところですが(一理ありますが)、
ここでは便宜上、一般的に使われている「純血種」という呼び方を使うことにします。
 
 
「登録ナンバー」とは、簡単に言えば、人間の「戸籍」のようなもので、
外見的には、同じ黒髪・黒い目のモンゴロイドであっても、
国籍の異なる中国人や韓国人は、日本人としては認められない(その逆も有)のと同じように、
猫や犬の世界にもそのような取り決めになっているのです。
「それは、おかしいのではないか? 遺伝的、形質的に同じであれば、認めても良いのではないか?」という疑問をお持ちの方も
いらっしゃると思います。
 
 
けれども、人間の世界でも、その国籍が法律に則って定められているように、
猫や犬の世界でも同様の書類上の決まりが存在するのです。そして、
品種というものは、その取り決めに従って長い年月(猫の場合はおよそ120年)をかけて確立されて来たものであり、
日本も含めた各国のブリーダーさんたちは、その規則に則ってブリーディングをなさっているのです。
 
 
120年が長いか短いかについては、ここで取り上げるのは控えることに致します。
もちろん、猫全体の歴史からみるのであればごくごく短いものです。
それまでは、長毛種以外の猫はペットというよりは、
ねずみを取るなどの使役(?)動物としての側面もあったとのことです。
特に、短毛種のヨーロッパでの歴史が、長毛種のそれより短いということは明らかです。
しかしながら、ペット(愛玩動物)としての立場が加わることによって、
猫の健康維持のためのワクチンや医学なども、より一層発展し始めることとなったのでした。
 
 
「登録ナンバー (Registry)」が戸籍のような役割を果たす一方で、
「血統書 (Pedigree)」は、その猫の家系図を記したものです。
誰々のお父さん・お母さんは誰々で、お祖父さん・お祖母さんは誰々というような
記載がしてあるものです。
猫の団体によって違いますが、およそ3世代〜8世代までの記載となっているようです。
 
 
日本ではこの2つがごっちゃになってしまっていますが、
欧米の殆どでは、純血種を購入したときには、この「登録ナンバー証」と「血統書」の、2つの書類を一緒に受け取ることになります。
その際、この「登録ナンバー」を所有しているということは、非常に重大な意味を持つことになるのです。
ペットとしてであれば問題にはなりませんが、
公的な証明が必要なショーやブリーディングに係わる猫についてのものであれば、
携わる人間にとっては必要不可欠なものとなります。
「登録ナンバー」にはまた、その猫の体質などによって、
「ブリーディング可/不可」の類の情報も含まれます。
 
 
血統登録団体に優劣をつける訳ではありませんが、「信頼できる団体のものかどうか」ということは非常に重要です。
稀に、血統やブリーディングの内容に構わずに「血統書」だけを発行する団体もあるからです。そのような「血統書の形をした紙切れ」は、
その安易さゆえ、「どのようなブリーディングが行われてきたか」を正確に判断する根拠にはなり得ません。
信頼できる団体の「登録ナンバー証」と「血統の情報」は、
犬や猫の信用情報であるとも言えるのです。
 
 ここで言う「猫の団体」とは、世界的にみて、幅広く一般に認知され尊敬されている団体、すなわち、
CFA、TICA、ACFA、
CFF、CCA、GCCF、FIFe、WCF、または、ACAのことを指しています。
稀に、上記の猫の団体の偽造「登録ナンバー証」や「血統書」も存在するようですので、
本国にナンバーを照会して、確かめることが必要な場合もあるとのことです。
 
 
重要なことは、ショーやブリーディングに携わる方々は、ある1匹の猫が、
猫の団体の「登録ナンバー証」及び「血統書」を失った時点で、
その猫を「純血種」と看做すことはない、ということです。
「ない」というより、「できない」のです。
「登録ナンバー証」及び「血統書」の揃っていない犬や猫を「純血種」だと認めることは、
その方のブリーダーさんとしての信頼性や、信条、存在意義にも係わってくることですので、
その方がブリーダーさんとして活動なさっている以上は、論外のことなのです。
 
 
日本では、まだブリーダーさんに対しての法律は存在しませんが、
アメリカなどでは、ブリーダー業はライセンス制ですので、
それなりの勉強や知識、試験が課せられますし、
違反時の罰則・罰金や、免許剥奪という場合もあります。
 
 
またブリーディングという作業自体が、趣味であっても職業であっても、非常に高い倫理観を必要とされる分野である、と言えます。
何故ならば、通常、繁殖は密室で行われ、真実を知っているのはブリーダーさんご本人と、
物云わぬ動物のみだからです。
動物には倫理観はなく、本能的な繁殖行動に身を任せますので、
親子・兄弟同士でも、同じ品種でなくても、子孫を残すことが可能です。
そして、その内容は全てブリーダーさんの自己申告制になっていますので、
そのブリーダーさんご自身の倫理観・統制力に負うところが大なのです。
 
 
分かりやすく言えば、証人なしで、
たった一人でゴルフコースをラウンドし、それを公式の記録とするようなものでしょうか。
それは、人間にとって、非常に過酷な試練と言えるのではないでしょうか?
そして、この不透明さゆえに、ブリーダーさんに対する世間からの眼差しが、
好意的なものだけではない、という要因にもなっているのです。
 
 
従って、「登録と血統」の信頼性は、「猫の団体」だけではなく、
そのブリーダーさんの素養にも関係してくることですので、
オーナー側も前もって勉強し、そのブリーダーさんご本人と接し、
よく見極める必要もある、ということになります。
 
 
上記の理由により、現在日本に残存しているであろう数少ないOSS(オールドスタイル・シャム)たちは、
もしもその猫が「登録ナンバーと血統書」を持っていなければ、
例え遺伝的には純粋なシャム猫であったとしても、公式的には、
「シャム猫であることを放棄した猫」として看做されてしまうことになります。
ということは、それらの猫たちを大切に育てて、数を増やしたとしても、その子孫たちは、
残念なことに、
あくまでも雑種として以上には認識されず、
そのカテゴリーに入る道しか残されていないということになってしまうのです。
現在の日本には、そのようなOSS(オールドスタイル・シャム)が多いので、
非常に困った問題となっています。
 
 
例外的に、その猫の親の世代(2匹)、あるいは祖父母の世代(4匹)など、世代を遡った何世代目かの、
どこかの世代一列の祖先が判明し、各々がナンバーを持っていれば、該当の猫に登録ナンバーを取り戻せる場合もあるようです。
(その規定は、団体によって異なるようです。)
 
 
これは、主に、ショー出陳や、
繁殖をして子孫を残していく場合に重要になる事柄です。
去勢/避妊をしたコンパニオン・アニマルの場合には、その重要度は低くなります。
また、重ねて言いますが、
個々の猫たちのペットや家族としての価値や、命の価値には、何ら変わりはありません。
それぞれの猫たちが、それぞれの家では大切な家族であり、また宝物でもあるということは、
もちろん言うまでもないことです。
 
 
しかしながら、この問題は、
日本のOSS(オールドスタイル・シャム)の復活において、充分に支障となり得ます。
そのブリーダーさんたちが、真剣にブリーディングに取り組んでいらっしゃる方であればあるほど、
「血統と登録」のないOSS(オールドスタイル・シャム)のブリーディングを行うことは、まずないからです。
OSS(オールドスタイル・シャム)の復活には、このようなジレンマが付きまとっているのです。