OSS愛好家の団体へ   ブリーダーズ・リスト

 シャム猫の歴史

The Famous Historic Siamese CatsThe Famous Historic Catteries & BreedersHistory of Cats Clubs

English


シャム猫の歴史は、ほとんどの部分が、近代の純血種の猫の歴史と重複します。 シャム猫の歴史が、キャット・ショーや血統書、キャット・クラブの歴史そのものとも言えます。
 
 

  1. 簡単な説明

  2.  
  3. もっと詳しく知りたい

  4.  
     
     


 
  シャム猫が、古代のシャム(現在のタイ)でどのように発生し、 維持されていたのかは、文書としては残存していませんので、全くもって不明です。
 
  王家や寺院で、特定の人々によって、 純血種として守られていたのか、被毛の色の由来や、繁殖をされ始めた時期なども定かではなく、 それが、シャム猫にまつわる数多くの伝説を生み出す原因ともなっています。 タイでのシャム猫についての最初の記載は、「猫の詩 "Cat Book Poems"」という、 アユタヤ朝1350年〜1767年に書かれた古代の本で、 「幸運を呼ぶ猫 "Wichien Maas"」として紹介されています。 この「猫の詩 "Cat Book Poems"」の英訳本が、
「The Legend of Siamese Cats」として 出版されています。
 
  1871年、「イラストレーター 兼 動物愛好家」そして「猫愛好家の父」として有名だった Harrison Weir 氏によって、 イギリスのクリスタル・パレスでのキャット・ショーが開催され、 シャム猫が最初にヨーロッパで披露されました。 当時の猫は、長毛種・短毛種のクラスに分けられ、 シャム猫は短毛種でエントリーし、当初は、「異常な、まるで悪夢のような猫」であるとか、 「パグの仔犬」のようであるとか、酷評もされましたが、 当代の一般的なヨーロッパの猫に比べると、小さく長細く優雅な猫であるとして、注目されました。 このショーは、その後毎年開催されることになりました。
 
  1884年、当時のシャム国のイギリスの副領事が、帰国の際に、 最初の1組のペアのシャム猫をイギリスに輸入しました。 その猫たちの子供たち (Duen Ngai, Kalohom, Khromata)が、 1885年10月のクリスタル・パレスのキャット・ショーで披露され、 短毛猫の部門ベストの特別賞を含め、あらゆる賞を総なめにしました。
 
  1887年、Harrison Weir 氏を筆頭に、公式の登録と各品種のスタンダードを定めた 、世界初のキャット・クラブ "National Cat Club" が設立されました。
 
  1898年、Robinson 夫人所有のシャム猫「ウォンキー (Wankee)」 が、 第17回クリスタルパレスのキャット・ショーで、シャム猫として初めてチャンピオンになりました。
 
  1901年には、世界初のシャム猫クラブ "Siamese Cat Club" が、設立されました。 その後、キャット・クラブが続々と設立され、 当時のブリーダーさんたちが混乱し始めたので、 それを統括する意味で、 GCCF (Governing Council of the Cat Fancy) が設立されました。
 
  米国初のキャット・ショーは、 1895年に、ニューヨークで、James Hyde 氏というイギリス人によって主宰されました。
 
  1899年、イギリスで「ベレスフォード・キャット・クラブ」が設立され、 アメリカでも、同名のキャット・クラブが設立されました。 1902年、イギリスから2匹のシャム猫が購入され、シャム猫の初代チャンピオンとなり、 その親猫たちが初登録されました。
 
  日本において、シャム猫が最初に姿を現したのは、 明治22年頃(1899年頃)で、イギリスの大使夫人が2匹のシャム猫を飼っていたと記載されています。 また、明治29年頃(1906年)には、上野動物園で「シャムロ猫」という名で飼育もされていたそうです。 しかし、数多くのシャム猫たちが入ってきたのは、第二次世界大戦の終戦後の1945年頃で、 アメリカの進駐軍を通してでした。 1954年(昭和29年)には「日本シャム猫クラブ」が設立され、 シャム猫は、日本においても、海外から来た高級な猫のイメージで流行し始めたのです。
 
  我々が今日本で目にしている、OSS(オールドスタイル・シャム)たちの祖先のほとんどは、 「タイ→イギリス→アメリカ→日本」という経路を辿って日本に入ってきた猫たちです。 この、猫のブリーディングの歴史の始まりは、 それまでは、単に長毛種・短毛種としてしか分類されていなかった猫という動物が、 品種として確立され始めた創成期に相当し、血統猫の歴史はシャム猫の歴史そのものとも言えるものです。
 
  シャム猫の歴史には、常に、「世界初」という接頭語が伴います。 近代の純血種の猫の歴史は、シャム猫とともに始まったと言っても過言ではありません。
 


 


 

シャム猫が、古代のシャム(現在のタイ)でどのように発生し、維持されていたのかは、 文書としては残存していませんので、全くもって不明です。
 
  王家や寺院で、特定の人々によって、 純血種として守られていたのか、それとも、時には混血もあったのか、被毛の色の由来や、繁殖をされ始めた時期なども定かではなく、 それが、シャム猫にまつわる数多くの伝説を生み出す原因ともなっています。 タイでのシャム猫についての最初の記載は、「猫の詩 "Cat Book Poems"」という、アユタヤ朝1350年〜1767年に書かれた古代の本で、 「幸運を呼ぶ猫 "Wichien Maas"」として紹介されているのみです。 この「猫の詩 "Cat Book Poems"」の英訳本が、
「The Legend of Siamese Cats」として 出版されています。
 
  猫のブリーディングの歴史は、犬と比べるとかなり浅く、 西洋でシャム猫の魅力の虜になった最初の人々は、1800年代のイギリス人でした。 シャム猫が最初にヨーロッパで披露されたのは、1871年、「イラストレーター 兼 動物愛好家」そして「猫愛好家の父」として有名だった Harrison Weir 氏によって主宰された、 イギリスのクリスタル・パレスでのキャット・ショーにおいてでした。
 
  初期のキャット・ショーでは、猫は長毛種・短毛種に分けられるのみで、 品種というものは存在しませんでしたし、血統や純血種という事柄についても、 今ほど問題にはされていなかったとのことです。というよりは、公式的には、 「血統や純血種」という概念は、まだ存在していなかったようです。 このクリスタル・パレスでの初めてのキャット・ショーは大成功を収め、 それ以後、年1回開催の運びとなりました。
 
  シャム猫は短毛種でエントリーし、当初は、 「異常な、まるで悪夢のような猫」であるとか、 「滑らかで優雅な手触りの、赤い人々と一緒にいる、黒い尖った耳と青い眼を持った猫」であるとか、 「パグの仔犬」のようであるとか、酷評もされましたが、 当代の一般的なヨーロッパの猫に比べると、小さく長細く優雅な猫であるとして、注目されました。
 
  公式的な記録としては、当時のシャム国(現在のタイ)に、イギリスの副領事として滞在していた Owen Gould 氏が、 その帰国の際の1884年に、最初の1組のペアのシャム猫をイギリス国内に持ち込んだという ことが輸入証明書や幾つかの文書において明らかにされています。 このシャム猫たち「プー (Pho)」と「ミア (Mia)」は、一説には「タイの王室からイギリスの公人へ贈与された猫であった。」とも言われていますが、 タイの副領事であった兄からその猫たちを譲り受け、世界初のシャム猫のブリーダーとなった L. J. Veley 夫人 (当時は Miss. Gould) は、1930年の "Cat Gossip"という猫の雑誌に、
 
  ”「ミアは、路上の行商人のような人から、3ティカルという廉価で購入してきたものであった。」と兄が話していた。”
 
  と書いています。この「プー」と「ミア」の子供たち3匹 (Duen Ngai, Kalohom, Khromata) が、1885年10月のクリスタル・パレスのキャット・ショーで披露され、 480匹の参加の中から、 短毛猫の部門ベストの特別賞を含め、あらゆる賞を総なめにしました。 その後、このクリスタル・パレスのキャット・ショーは、 回を重ねる毎に参加者も増え、愛猫家たちがキャット・クラブを設立する計画を練りました。
 
  1887年、Harrison Weir 氏を筆頭に、公式の登録と各品種のスタンダードを定めた、 世界初のキャット・クラブ "National Cat Club" が設立されました。 シャム猫は、多種多様な猫たちの中から、最初に救い上げられ、 独自のクラスを設けてもらいました。 我々が現在使用している、 シャム猫という品種名と概念は、この時期から始まったことになります。
 
  1898年、Robinson 夫人所有のシャム猫「ウォンキー (Wankee)」 が、クリスタルパレスのキャット・ショーで、 シャム猫として初めてチャンピオンになりました。
 
  1901年には、世界初のシャム猫クラブ "Siamese Cat Club" が、小説家でシャム猫の愛好家でも あった、 Compton Mackenzie 氏によって設立されました。 Robinson 夫人所有の「ア・クー (Ah Choo)」というシャム猫が、このクラブのメダルのモデルになったそうです。
 
  その後、"Beresford Cat Club" を始め、 次々とキャット・クラブが設立され、各々のクラブが協調したり対立したりと、 その様相が混迷を極めてきましたので、1910年の各クラブの会合によって、 "GCCF (Governing Council of the Cat Fancy)" という 全てを束ねる機構が設けられることになりました。
 
  GCCF は、各々のキャット・クラブからの代表者で構成される委員会のようなもので、 それぞれのクラブは50名につき代表者1名を送り込むことが出来ます(最高4名まで)。 "Siamese Cat Club"は、"National Cat Club"と並んで、最高の4名の枠を獲得していました。 各々のクラブは独自の規則を持っていましたが、大枠のGCCFのルールも遵守し、 様々なイベントや賞は、GCCF の名において設けられました。
 
  最初にイギリスで登録されたシャム猫は11匹だったそうです。 その後、あらゆる形でタイからのシャム猫の輸入が続くことになりますが、 「この最初の11匹の猫たちの子孫であれば、そのシャム猫は、 正当な純血種のシャム猫である。」というのが、シャム猫関係者の共通の見解のようです。
 
  アメリカで、最初にシャム猫が見られるようになったのは、1890年頃と言われていますが、 それにも諸説あり、こちらも不詳です。 最初に輸入された猫の名前などの有効な記載は残っていません。 1895年に、ニューヨークの Madison Square Gardens で開催された、 米国初のキャット・ショーは、James Hyde 氏というイギリス人によって主宰されました。 彼は、クリスタル・パレスのキャット・ショーへ参加した後、アメリカでのキャット・ショーを 開催することにしたそうです。 この米国初のキャット・ショーに参加した猫は、ほとんどが長毛種だったとのことです。
 
  1899年には、貴族の Lady Marcus Beresford 卿が、イギリスで 「ベレスフォード・キャット・クラブ」を設立し、 アメリカでも、 同名のキャット・クラブを Clinton Locke 夫人が設立し、初代会長となりました。
 
  1902年、Clinton Locke 夫人は、 イギリスの Lady Marcus Beresford 卿から、 2匹のシャム猫 「マディソン・カリフ (Madison Calif)」、「バンコク(Bangkok) 」を購入しました。 シカゴのキャット・ショーに出陳された彼らは、向うところ敵なしでした。 「マディソン・カリフ」は、シャム猫の初代チャンピオンとなり、 彼らの親猫たち 「ロックヘヴン・シァム (Lockhaven Siam)」、「サリー・ワード (Sally Ward) 」は、アメリカで最初に、 「ベレスフォード・キャット・クラブ」の 「スタッド・ブック (血統登録)」の Vol.Tに登録されたシャム猫となりました。
 
  「ベレスフォード・キャット・クラブ」はその後解散しましたが、 その「スタッド・ブック (血統登録)」は、現在の ACA に引き継がれています。 その頃のアメリカのシャム猫は、タイから直輸入するというよりは、むしろ、 登録されたシャム猫をイギリスから輸入する、というものが多かったということです。
 
  日本において、シャム猫が最初に姿を現したのは、明治22年頃(1899年頃)で、 イギリスの大使夫人が2匹のシャム猫を飼っていたと記載されています。 また、明治29年頃(1906年)には、上野動物園で「シャムロ猫」という名で飼育もされていたそうです。 しかし、数多くのシャム猫たちが入ってきたのは、第二次世界大戦の終戦後の1945年頃で、 アメリカの進駐軍を通してでした。 昭和29年には「日本シャム猫クラブ」が設立され、シャム猫は、 海外から来た高級な猫のイメージで流行し始めたのです。
 
  我々が今日本で目にしている、OSS(オールドスタイル・シャム)たちの祖先のほとんどは、 「タイ→イギリス→アメリカ→日本」という経路を辿って日本に入ってきた猫たちです。 もし、イギリス人たちがシャム猫に魅了されていなければ、 そして「シャム猫」として品種を確立していなければ、 シャム猫たちはまだ国産の猫の1種としてタイにいて、日本人の目には触れていなかったかも知れません。 あるいは、1950年のタイにおいて既にほとんど見られなかったように、 現代のタイにおいてはとっくの昔に廃れていたのかも知れません。 しかしながら、 歴史に「もし」や「仮定」は存在しません。我々現代人は、 現在目の前に存在する事実をそのまま受け入れることしかできませんし、 当のシャム猫たちは、今我々の目の前に存在するのです。
 
  猫のブリーディングの歴史は、 上記のように、 イギリスにおける世界初のキャット・クラブ(血統登録団体)の設立から始まりました。 家系図や誕生日・ブリーダーさんの詳細な情報などを、登録という形で、 系統立てたきちんとした書類(スタッド・ブック)として残すようになり、 それ以後、欧米では、熱狂的なシャム猫の愛好家たちや、 「育種繁殖家」としてのブリーダーさんたちが現れ始めたのです。
 
  この、シャム猫の歴史の始まりは、それまでは、単に長毛種・短毛種としてしか分類されていなかった猫という動物が、 品種として確立され始めた創成期に相当し、猫のブリーディングの歴史そのものとも言えるものでもあるのです。 シャム猫の歴史には、常に、「世界初」という接頭語が伴います。
 
  血統登録団体や血統書、キャット・ショーや、ブリーディングなどについては、 各々の方々が、その考えを異にする部分ではありますが、 今、我々の目の前にいるシャム猫たちも、 そのようにして世界を巡り巡って日本へやって来たシャム猫たちの子孫なのです。
 
  近代の純血種の猫の歴史は、シャム猫とともに始まったと言っても過言ではありません。
 
 
 
 


 
 

 
 


                     





     


Copyright MORIAN All rights Reserved 2003-2010

inserted by FC2 system